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| バトンとかやってみたり |
まいちゃんから来たバトン
○あなたは女性ですか?
Yes ○あなたが考える女性の特権とは?
そりゃ、子供産めることですよ。
○あなたが「自分は女だなぁ」と思う瞬間は?
意外と怖がりだったりするところ。 ○女友達と男友達、どっちが多い?
女。男友達にはきつくいいすぎて嫌われる。
○好きな人の前では女度が増す?
付き合う前だったら、何気に照れたりしてるけど、 特別女っぽい格好はしない。 付き合ってしまえば、男化してる。
○結婚式ではウエディングドレスを着たい?
うーん、あまり願望なし。 まぁ1回くらいはいいか。
○一生独身ってありだと思う?
人それぞれだけど、せっかく女としてうまれたなら、 ちゃんと結婚して家庭を築いた方がいいと思う。
○結婚しても仕事は続けたい? 間違いなくやる。
○雑誌の占いは、つい読んでしまう?
読む。
○昔、ジャニーズにハマッたことは?
ハマるってほどはないけど、小学校の頃に光ゲンジが はやってたとき、影響されてローラースケート買ったな。
○男言葉を使うのに抵抗はある?
全くなし。いつも使ってます。
○女性であることを恨んだことは?
日本で就職活動してるとき。
○ もう一度生まれ変わるなら女性がいい?
次は男がいい。
○あなたが分析するあなたの女性度(10段階)は?
2段階。性格や容姿は男っぽいけど、 意外と家庭的だと思うから。
○バトンを回す5人の女性は?
ムルアカねえさん、あずちんさん、とみをさん、いもたさん、めぐちゃん
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| 東京帰還・お年賀 |
実家でのぐうたら生活を終え、東京に戻ってきた。 電車は遠回りを余儀なくされたものの、 ほぼ時間通りで東京に着くことができた。
家に着くと、数枚の年賀状が。 アメリカ渡米以来、年賀状は書いていなかったし、 もらうこともほとんど無くなった。 それでも年賀状ってもらうとうれしいものですね。うん。
その中でめちゃめちゃ素敵な年賀状発見ーっ。
昨年第一子を出産した、Kちゃんファミリーからだった。 先月生まれたてのあかんぼちゃんを見に行って、 いつものごとくカシャカシャ私は写真を撮っていたわけだけど、 その中の1枚を年賀状の写真として使ってくれたのだ。 「使ってくれた」というより、相方と撮った写真をその場でやりたい放題加工して、 半ばそれを使わざるを得ない状況にさせてしまったのだけど。 後から、結構強引やったなぁ・・と反省。
で、写真は「典型的な家族写真」っぽくない、というのがポイントで、 あとはホントにはたから見てて あったかくてほほえましいファミリーなので、 それをそのまま写真におさめたという感じ。
彼女には去年は結婚・出産と人生の大イベントを一気に経験して、 なにかずーっとあげたいって思っていて、写真をプレゼントすることにした。 妊婦時代からの出産後までの写真を記録的に撮ってあるので、 それをまとめてあげよう。 これまたかなり自己満足だけれど、 写真ってそんな邪魔になるものでもないよね?
写真を始めてわかったこと。 きっと、自分はこういうの好きなんだと思う。 元々若干おせっかいな性格もあって、 サプライズ的なパーティーやプレゼントをして 人を喜ばせるのが好き。
うまくいえないけど、 きっと、そんな感じのことを仕事にしていきけたら素敵なんだろうな。
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| 気づいたこと |
明日の帰省を前に、新幹線からの特急の乗り継ぎの時間を調べようと JR東日本で地元の駅を探すものの、一向にでてこない。 確かに田舎ではあるけど、大阪方面への電車も1本で出てるし、 (早く関西への新幹線を作ってほしい)、 なんででてこないっ!と思ってたらうちの駅はJR西日本扱いらしい。 でも、駅は東日本風(?)なのに。 ちなみに、市内でもギリギリ東日本、西日本というところがある。 ちょうど途中で電源の切り替えがあって、電気が消えるんだけど、 それは東日本と西日本の境目の所なのだ。 まぁ、東でも西でもどっちでもよいのだが。
明日は30日で帰省ラッシュみたいだし、きっと座れないだろーなー。 3時間弱で着くとはいえ、立ちっぱはこの歳ではつらいですよ。 しかも寒いし。
実家では上げ膳据え膳、殿様気分を満喫するぞー。
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| クリスマスの過ごし方。 |
ここ5年くらいのクリスマスを振り返ってみると、
2000年―渡米後1週間のアメリカでの初クリスマス。イブは友人の友人宅で20人くらいのホームパーティー、 クリスマスは寮の仲間とまったり。当時同じ寮にいた相方の部屋(4人部屋)はよくパーティールームになっていて、 クリスマス仕様にデコレーションされていた。アメリカのケーキを食べたのもこのときが初めて。 激甘。
2001年―私のアパート(ワンルーム)に30人弱の人が集まりホームパーティー。少々広めのワンルームとはいえ (日本の6畳一間のアパートの2.5倍くらい)、 あそこに入れ替わり30人はかなりすごかった。 料理をもちより、プレゼント交換(確か$10以内)をし、 暴飲をして倒れこむ者ありで、騒々しいパーティーだった。 私は隣の部屋の人に警察を呼ばれるのではないかとかなりひやひやしていた。 友人の一人が飲みつぶれ、トイレから出てこないので結局家に泊り、 クリスマスの朝は相方とその友人が台湾について論議するという展開に。
2002年―家でステーキ焼いて、ケーキ食べて、まったり。
2003年―サンフランシスコで迎える。生憎の天気で、 そのとき撮った写真は全て曇り空。アルカトラズ島へ行ったり、 フィッシャーマンズ・ワーフへ行ったり。行き帰りの車は濃霧で運転が怖かった。
2004年―久しぶりに日本で迎えるクリスマス。東京滞在後、 そのまま相方の両親の故郷である岐阜県郡上八幡へ。
2005年―温泉旅行、東京ぶらぶら。
さて、来年の今頃は何をしているのかね?
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| 5年前 |
2000年12月17日。 今からちょうど5年前の今日、日本を発ちアメリカへ向かった。
今覚えてることは、
行きの飛行機は前回のNY留学同様、ノースウエスト。 一人で乗り込む。 相変わらずご飯がくそまじぃ。 フライトアテンダントに熱湯をかけられる。 私は運良く服にちょこっとかかっただけだったが、 後ろの席の人はぐっしょりかけられ、 機内アナウンスで緊急処置のできる医師の呼び出しがかかるほどの事故に。
そして、LA上陸。まぶしいくらいの快晴。青い空。やしの木。 これがLAです!的存在感に圧倒される。
で、そのままシャトルバスで寮へ。 初の寮生活でドキドキ・・・も、寮につくやいなや一転。 私の期待を一気に裏切る小汚い(失礼)外見に少々へこむ。
その後、ドキドキのひとつであったルームメートと対面。 台湾人のすごく優しいルームメートに恵まれる。 彼女とはお互い国へ戻った今でもよい友達。
荷物を置くやいなや、時差ぼけそっちのけで ルームメートにくっついて(with Taiwanese 軍団) サンタモニカ3rdストリートへ。 タイワニーズコミュニティーの中でもまれながら(もち、すべてチャイニーズ♪)、 サンタモニカプレイスをぶらつく。
プレイス内のエスカレーターで、 タイワニーズコミュが誰か友達と会う。 「この人も、寮にいる日本人だよ」と言われ、 そのパーカー&短パン(季節は12月なり)姿の一見やんちゃそうなアジア人を紹介される。 短パン野郎「名前は?」 あたし「○○○」 短「そっちは?」 あ「△△」 あ「日本のどこからきたんですか」 短「京都。そっちはどこからきたん?」 あ「新潟」 短「クスッ」 こんな会話を(英語で)した。 この時はまさかこの短パン野郎とその後長い付き合いになるとは思ってもなかった。 短パン野郎=今の相方なのだけど、最初の「クスっ」があって、 第一印象はそんなよくなかったのだ。
で、その後1週間くらいは時差ぼけが続き、寮のご飯もまずくてなかなか生活のリズムがつかめなかったんだっけ。
一旦リズムをつかんで英語にもなれて、友達もできてからはほんと楽しかった。 学校も大変だったけど、充実してた4年半だったと思う。 生まれてはじめて自分から何かやりたいと思って実行したことだったから、 勉強も楽しかった。
アメリカにいたときはいたときで、 日本が一番、アメリカは絶対「住めば都」なんてなってたまるかボケ、 って思ってたけど、 今じゃあのいい加減さが懐かしかったりもするし。 実際自分もかなりいい加減人間になっちゃったり。
あれから5年。 いろんなことがあったけど、 全ての出会い・経験はほんと一生の宝になった。 留学させてくれた両親、本当にありがとうございます。
・・・・なんてことを日本に帰ってきてからよく考えるのです。 歳を重ねるにつれ、 物思いに耽りすぎる傾向が・・・・。
☆ストリートパフォーマー@Santa Monica 3rd St.
☆シャボン玉を追いかける女の子@ Santa Monica Pier
5年前 2005-12-17 23:48:06 / Weblog 2000年12月17日。 今からちょうど5年前の今日、日本を発ちアメリカへ向かった。
今覚えてることは、
行きの飛行機は前回のNY留学同様、ノースウエスト。 一人で乗り込む。 相変わらずご飯がくそまじぃ。 フライトアテンダントに熱湯をかけられる。 私は運良く服にちょこっとかかっただけだったが、 後ろの席の人はぐっしょりかけられ、 機内アナウンスで緊急処置のできる医師の呼び出しがかかるほどの事故に。
そして、LA上陸。まぶしいくらいの快晴。青い空。やしの木。 これがLAです!的存在感に圧倒される。
で、そのままシャトルバスで寮へ。 初の寮生活でドキドキ・・・も、寮につくやいなや一転。 私の期待を一気に裏切る小汚い(失礼)外見に少々へこむ。
その後、ドキドキのひとつであったルームメートと対面。 台湾人のすごく優しいルームメートに恵まれる。 彼女とはお互い国へ戻った今でもよい友達。
荷物を置くやいなや、時差ぼけそっちのけで ルームメートにくっついて(with Taiwanese 軍団) サンタモニカ3rdストリートへ。 タイワニーズコミュニティーの中でもまれながら(もち、すべてチャイニーズ♪)、 サンタモニカプレイスをぶらつく。
プレイス内のエスカレーターで、 タイワニーズコミュが誰か友達と会う。 「この人も、寮にいる日本人だよ」と言われ、 そのパーカー&短パン(季節は12月なり)姿の一見やんちゃそうなアジア人を紹介される。 短パン野郎「名前は?」 あたし「○○○」 短「そっちは?」 あ「△△」 あ「日本のどこからきたんですか」 短「京都。そっちはどこからきたん?」 あ「新潟」 短「クスッ」 こんな会話を(英語で)した。 この時はまさかこの短パン野郎とその後長い付き合いになるとは思ってもなかった。 短パン野郎=今の相方なのだけど、最初の「クスっ」があって、 第一印象はそんなよくなかったのだ。
で、その後1週間くらいは時差ぼけが続き、寮のご飯もまずくてなかなか生活のリズムがつかめなかったんだっけ。
一旦リズムをつかんで英語にもなれて、友達もできてからはほんと楽しかった。 学校も大変だったけど、充実してた4年半だったと思う。 生まれてはじめて自分から何かやりたいと思って実行したことだったから、 勉強も楽しかった。
アメリカにいたときはいたときで、 日本が一番、アメリカは絶対「住めば都」なんてなってたまるかボケ、 って思ってたけど、 今じゃあのいい加減さが懐かしかったりもするし。 実際自分もかなりいい加減人間になっちゃったり。
あれから5年。 いろんなことがあったけど、 全ての出会い・経験はほんと一生の宝になった。 留学させてくれた両親、本当にありがとうございます。
・・・・なんてことを日本に帰ってきてからよく考えるのです。 歳を重ねるにつれ、 物思いに耽りすぎる傾向が・・・・。
☆ストリートパフォーマー@Santa Monica 3rd St.

☆シャボン玉を追いかける女の子@ Santa Monica Pier

☆観覧車@Santa Monica Pier

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