徒然日記
プロフィール

Author:Makky
出身地:
新潟県

住まい:
愛知県名古屋市 

職業:
某新聞社にて写真記者

学歴:
米国カリフォルニア州立大学
ノースリッジ校
ジャーナリズム学部
フォトジャーナリズム学科卒業
(B.A.)

米国カリフォルニア州
サンタモニカ大学
一般教養学部卒業
(A.A)



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気づいたこと
明日の帰省を前に、新幹線からの特急の乗り継ぎの時間を調べようと
JR東日本で地元の駅を探すものの、一向にでてこない。
確かに田舎ではあるけど、大阪方面への電車も1本で出てるし、
(早く関西への新幹線を作ってほしい)、
なんででてこないっ!と思ってたらうちの駅はJR西日本扱いらしい。
でも、駅は東日本風(?)なのに。
ちなみに、市内でもギリギリ東日本、西日本というところがある。
ちょうど途中で電源の切り替えがあって、電気が消えるんだけど、
それは東日本と西日本の境目の所なのだ。
まぁ、東でも西でもどっちでもよいのだが。

明日は30日で帰省ラッシュみたいだし、きっと座れないだろーなー。
3時間弱で着くとはいえ、立ちっぱはこの歳ではつらいですよ。
しかも寒いし。

実家では上げ膳据え膳、殿様気分を満喫するぞー。

クリスマスの過ごし方。
ここ5年くらいのクリスマスを振り返ってみると、

2000年―渡米後1週間のアメリカでの初クリスマス。イブは友人の友人宅で20人くらいのホームパーティー、
クリスマスは寮の仲間とまったり。当時同じ寮にいた相方の部屋(4人部屋)はよくパーティールームになっていて、
クリスマス仕様にデコレーションされていた。アメリカのケーキを食べたのもこのときが初めて。
激甘。

2001年―私のアパート(ワンルーム)に30人弱の人が集まりホームパーティー。少々広めのワンルームとはいえ
(日本の6畳一間のアパートの2.5倍くらい)、
あそこに入れ替わり30人はかなりすごかった。
料理をもちより、プレゼント交換(確か$10以内)をし、
暴飲をして倒れこむ者ありで、騒々しいパーティーだった。
私は隣の部屋の人に警察を呼ばれるのではないかとかなりひやひやしていた。
友人の一人が飲みつぶれ、トイレから出てこないので結局家に泊り、
クリスマスの朝は相方とその友人が台湾について論議するという展開に。

2002年―家でステーキ焼いて、ケーキ食べて、まったり。

2003年―サンフランシスコで迎える。生憎の天気で、
そのとき撮った写真は全て曇り空。アルカトラズ島へ行ったり、
フィッシャーマンズ・ワーフへ行ったり。行き帰りの車は濃霧で運転が怖かった。

2004年―久しぶりに日本で迎えるクリスマス。東京滞在後、
そのまま相方の両親の故郷である岐阜県郡上八幡へ。

2005年―温泉旅行、東京ぶらぶら。

さて、来年の今頃は何をしているのかね?

クリスマス・イヴ〜東海道ぶらり温泉めぐり〜
今年のクリスマスに
静岡方面へ一泊二日の温泉旅行へいくことにした。
私も相方も、近所の銭湯にちょくちょく足を運ぶほどのお風呂好き。

本当はもう少し近場の箱根あたりを考えていたのだけど、
実際に探したのは1週間前で、どこも満席状態。
しかも高い。
もうちょっと足を延ばして、静岡県にある温泉でまだ空席があるとのことで
伊東温泉に決定。こだわりといえば露天風呂と海の幸くらいだったので、
簡単に見つけることができた。
残念なのは旅館じゃなくて、ホテルだったことくらいか。

温泉のある伊東市までは東京駅から東海道線各駅停車の旅。
快速に乗れなかったので、相当ゆっくり行くことになった。
片道約2時間半。

電車を降り、駅を出るとホテルの出迎えシャトルが来ていた。
早速乗り込むと、大学生のサークル一一団(全て男!)が席を陣取っていた。
あぁ、このうるさい人たちと同じホテルかと思い、少しへこむ。
相方曰く、同じ風呂を使う自分の方が可哀想だと。確かにそうだ。
あまりにもうるさいので、ガン飛ばし&暴言を吐く。性格悪いな、自分。
大人気ないのは分かってるけれどさ。
自覚していることだけれど、私は相当の男嫌い。
これが女の子でもそこそこイラつくだろうけど、
きっと許せると思う。

どうにかしたいと思うけれど、自分の中で「男はこうじゃなきゃ」
みたいなのがあって。多分。
それじゃあ、私の彼氏になる人が必ずしもパーフェクトかといったらそういうわけでもないけど、
許せるところと許せないところがあるのだ。
結局は人間性・・・なんだろうか。


んで、4時ごろにホテルへ着き、さっそく一風呂浴びる。
時間帯のせいか、入浴している人は4,5人で、
最後は貸しきり状態に。
お風呂の後は、外へ出て散歩。
せっかく一眼レフのカメラを持ってきたのだが、もう日が沈んでしまっていて
写真を撮ることはあまりできなかった。
残念。

↓かろうじてちょいブレで撮った野良猫


cat



近所をぶらぶらしてホテルに帰る頃にはもう夕飯時。
ホテル選びをしているときにこだわったのが、
「海の幸」だったので、ちょっと期待。
んで、料理はこんなかんじ↓



dinner


まぁ、華やかさには欠けますが。
腹ペコの私でも、全て食べきることはできないくらいの品数。
シーフードメインでよかったんだけど、正直内容には不満足だった。
ホタテを使った料理が何品目もあったり(好きだからいいけど)、
煮物も3品くらい使い回しがあったり、料理も冷たかったり、
飲み物をオーダーしてもすぐ出てこなかったり(中国人の研修生が担当だった)。
まぁケチって安めのホテルにしたからしょうがないか。

お風呂は結局計3回入った。
私はお風呂は好きなんだけど、
すぐのぼせるから長いこと入っていられないのだ。
お風呂に1時間、2時間入ってる人が信じられない。

朝はバイキングで和食を食べ、
10時にチェックアウトをして一路東京へ。
帰りも普通電車だったのだけど、
帰りは座ることができなくて疲れた・・・。
2時間半たちっぱはさすがにきつい。
おまけに酔っ払いのおじさん連中をめぐって、
相方と喧嘩したので帰りの電車はほんと最悪だった。

その後はそのままお台場に行こうと思ったけれど、
新橋で人の多さに行く気もなくなり、
結局家から一番近い池袋で買い物して、ごはんたべて、
最後にゲーセン行った。
モノポリーにはまって終電ぎりぎりで帰宅。

そんな感じのクリスマス。

tree


温泉宿もクリスマス仕様


river


ホテル周辺を流れる川


5年前
2000年12月17日。
今からちょうど5年前の今日、日本を発ちアメリカへ向かった。

今覚えてることは、

行きの飛行機は前回のNY留学同様、ノースウエスト。
一人で乗り込む。
相変わらずご飯がくそまじぃ。
フライトアテンダントに熱湯をかけられる。
私は運良く服にちょこっとかかっただけだったが、
後ろの席の人はぐっしょりかけられ、
機内アナウンスで緊急処置のできる医師の呼び出しがかかるほどの事故に。

そして、LA上陸。まぶしいくらいの快晴。青い空。やしの木。
これがLAです!的存在感に圧倒される。

で、そのままシャトルバスで寮へ。
初の寮生活でドキドキ・・・も、寮につくやいなや一転。
私の期待を一気に裏切る小汚い(失礼)外見に少々へこむ。

その後、ドキドキのひとつであったルームメートと対面。
台湾人のすごく優しいルームメートに恵まれる。
彼女とはお互い国へ戻った今でもよい友達。

荷物を置くやいなや、時差ぼけそっちのけで
ルームメートにくっついて(with Taiwanese 軍団)
サンタモニカ3rdストリートへ。
タイワニーズコミュニティーの中でもまれながら(もち、すべてチャイニーズ♪)、
サンタモニカプレイスをぶらつく。

プレイス内のエスカレーターで、
タイワニーズコミュが誰か友達と会う。
「この人も、寮にいる日本人だよ」と言われ、
そのパーカー&短パン(季節は12月なり)姿の一見やんちゃそうなアジア人を紹介される。
短パン野郎「名前は?」
あたし「○○○」
短「そっちは?」
あ「△△」
あ「日本のどこからきたんですか」
短「京都。そっちはどこからきたん?」
あ「新潟」
短「クスッ」
こんな会話を(英語で)した。
この時はまさかこの短パン野郎とその後長い付き合いになるとは思ってもなかった。
短パン野郎=今の相方なのだけど、最初の「クスっ」があって、
第一印象はそんなよくなかったのだ。


で、その後1週間くらいは時差ぼけが続き、寮のご飯もまずくてなかなか生活のリズムがつかめなかったんだっけ。

一旦リズムをつかんで英語にもなれて、友達もできてからはほんと楽しかった。
学校も大変だったけど、充実してた4年半だったと思う。
生まれてはじめて自分から何かやりたいと思って実行したことだったから、
勉強も楽しかった。

アメリカにいたときはいたときで、
日本が一番、アメリカは絶対「住めば都」なんてなってたまるかボケ、
って思ってたけど、
今じゃあのいい加減さが懐かしかったりもするし。
実際自分もかなりいい加減人間になっちゃったり。


あれから5年。
いろんなことがあったけど、
全ての出会い・経験はほんと一生の宝になった。
留学させてくれた両親、本当にありがとうございます。

・・・・なんてことを日本に帰ってきてからよく考えるのです。
歳を重ねるにつれ、
物思いに耽りすぎる傾向が・・・・。



☆ストリートパフォーマー@Santa Monica 3rd St.



☆シャボン玉を追いかける女の子@ Santa Monica Pier


5年前

2005-12-17 23:48:06 / Weblog



2000年12月17日。
今からちょうど5年前の今日、日本を発ちアメリカへ向かった。

今覚えてることは、

行きの飛行機は前回のNY留学同様、ノースウエスト。
一人で乗り込む。
相変わらずご飯がくそまじぃ。
フライトアテンダントに熱湯をかけられる。
私は運良く服にちょこっとかかっただけだったが、
後ろの席の人はぐっしょりかけられ、
機内アナウンスで緊急処置のできる医師の呼び出しがかかるほどの事故に。

そして、LA上陸。まぶしいくらいの快晴。青い空。やしの木。
これがLAです!的存在感に圧倒される。

で、そのままシャトルバスで寮へ。
初の寮生活でドキドキ・・・も、寮につくやいなや一転。
私の期待を一気に裏切る小汚い(失礼)外見に少々へこむ。

その後、ドキドキのひとつであったルームメートと対面。
台湾人のすごく優しいルームメートに恵まれる。
彼女とはお互い国へ戻った今でもよい友達。

荷物を置くやいなや、時差ぼけそっちのけで
ルームメートにくっついて(with Taiwanese 軍団)
サンタモニカ3rdストリートへ。
タイワニーズコミュニティーの中でもまれながら(もち、すべてチャイニーズ♪)、
サンタモニカプレイスをぶらつく。

プレイス内のエスカレーターで、
タイワニーズコミュが誰か友達と会う。
「この人も、寮にいる日本人だよ」と言われ、
そのパーカー&短パン(季節は12月なり)姿の一見やんちゃそうなアジア人を紹介される。
短パン野郎「名前は?」
あたし「○○○」
短「そっちは?」
あ「△△」
あ「日本のどこからきたんですか」
短「京都。そっちはどこからきたん?」
あ「新潟」
短「クスッ」
こんな会話を(英語で)した。
この時はまさかこの短パン野郎とその後長い付き合いになるとは思ってもなかった。
短パン野郎=今の相方なのだけど、最初の「クスっ」があって、
第一印象はそんなよくなかったのだ。


で、その後1週間くらいは時差ぼけが続き、寮のご飯もまずくてなかなか生活のリズムがつかめなかったんだっけ。

一旦リズムをつかんで英語にもなれて、友達もできてからはほんと楽しかった。
学校も大変だったけど、充実してた4年半だったと思う。
生まれてはじめて自分から何かやりたいと思って実行したことだったから、
勉強も楽しかった。

アメリカにいたときはいたときで、
日本が一番、アメリカは絶対「住めば都」なんてなってたまるかボケ、
って思ってたけど、
今じゃあのいい加減さが懐かしかったりもするし。
実際自分もかなりいい加減人間になっちゃったり。


あれから5年。
いろんなことがあったけど、
全ての出会い・経験はほんと一生の宝になった。
留学させてくれた両親、本当にありがとうございます。

・・・・なんてことを日本に帰ってきてからよく考えるのです。
歳を重ねるにつれ、
物思いに耽りすぎる傾向が・・・・。



☆ストリートパフォーマー@Santa Monica 3rd St.

performers




☆シャボン玉を追いかける女の子@ Santa Monica Pier

girl




☆観覧車@Santa Monica Pier


pier


師走〜

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